モチのような日々

絵に描かれた餅を食べられるような毎日だったらいい。そんなことをぼんやり考える。

春の盛りを過ぎ、出勤する時、ツバメが運転する車の中から見える風景に黒い線を引きながらさかんに飛び交っている。

それを見ながら、今年はダメなツバメが私の家に来なかったけれど、どこかでうまくやっていればいいな、死んでしまったのなら寿命を全うしていればいいなと思う。

ダメなツバメは、何年間か私の家の玄関に続けてやってきた。
ツバメたちが春のはじめに巣を作りはじめる頃、ダメなツバメも同じように枯れ草なんかを集めだすのだけれど、捨てられたストローや、ポリエチ袋の破れたゴミがけっこうな比率で混じっていて、明らかに見た目が悪い。

その上、せっかく運んだ巣の材料がボロボロ崩れたり落ちてきたりして、玄関のドアの前にいつも泥とゴミが散乱している。しょうがないなと思いながら、玄関掃除用の先っぽがプラスチックになっているホウキをホームセンターで買い、たまに玄関から雑に掃き出した。

巣といえば、間違ったゴミと草や泥でなんとか形にはなっているけれど、間がスカスカで、見た目が明らかに悪い。それでもなんとか「巣が完成した」という状態までこぎ着ける。

相手がこない。

巣を作ったのに、肝心の相手がいない。何回か二羽のツバメがいるところを目にしたけれど、結局一羽だけでボロボロの巣に乗っている。

ツバメが巣を作ったら、自動的にヒナが産まれ子育てをするとそれまでは思っていたけれど、よくよく考えたら、こんなボロボロの巣じゃ子育てするのも危険だから、メスも寄りつかないし、巣の様子を見れば、絶望的に他のこともヘタクソなのは見てとれる。

一羽だけでポツンと過ごすツバメが描いたモチはどんな形をしていたんだろう。

しっかりとした美人ツバメと一緒に子供を作り育て、南に渡る夢を見たんだろうか。そんなダメなツバメが私の家に来るというのは、なんだかダメがダメを呼びあったようで、そう考えると苦い気持ちになるので認めたくはないが、仲間意識を持っていた。

ダメなツバメが今年は違う家に巣を作り、ペアを作り正しいツバメライフを送っていてくれたらいいなというのが、今の私が絵に描くモチだ。

なんだかんだあったし、これからもあるだろうけれど、自分が過ごすこの毎日も悪くないなと思いながら、窓の外を見る。曇り空の下でツバメ達が低空飛行で虫を追いかけている。「雨が降る前はツバメが低く飛ぶ」という言葉がいつも浮かんでくる。この景色が自分にとってのよい兆しであるといいなと思う。

自分にも、みなさんにとってもこれから降る雨が慈雨でありますように。レインメーカーみたいないい言葉を最後に置き、久しぶりに書いた長い文章を終わります。