”お風呂に入りたくない”
そうふと頭によぎっても、多くの人から不潔・だらしない・怠惰・狂犬病(恐水症)と疑われ、「汚い人」というカテゴリに入れられてしまうのではないかという恐れから口にできない世の中が、今のこの日本の現状である。
「きれいが好き」と「きれい好き」の間にはひらがなひとつ増えただけしか違いはないが、大きく意味合いが変わってくる。とにかく分かりづらくなってしまっているが、まとめると「きれいにしたいと思っているし、お風呂に入った後のさっぱりした感じは大好きだが、お風呂の浴槽/シャワーを浴びるに至るまでに大きく高い壁・長く細い橋が目の前にある」人はいるはずである。
仕事がある人はもちろんのこと、自宅で過ごしている人でも同じように感じている同志は多いはずだと思っている。しかし、スメハラ(スメルハラスメント)になってもいけないし、たいした地位もないのに「社会的に死ねる」などと考え、真夜中や遅刻寸前の出社前に頭だけを洗って疑似清潔を装う羽目になる。
いっそ汗をかいていたり、汚れる場所にいたという実感があれば、自分の中のインナー自分に同意を求めるのも容易で、足取りも軽く衣服を脱ぎ捨て清潔の神のもとへ進んでいけるのだが、なかなか自分会議で即決ができるほどの状況が生まれにくいのが現状である。
そして、このような葛藤を続けていくうちに、清潔になることのできるお風呂との関係性も悪くなり、まるで「○○党が悪いんや!」とだけ言い続ける人のような頑なな姿勢で硬直化してゆく。
そんな世の中、変えませんか?
お風呂は帰宅後すぐに入る!
疲れて帰ってきたら、まずのんびりしたい。当然の心理ですが、動きを止めずにそのままバスルームへ直行するのが、お風呂嫌いを克服するための鉄則です。
「そんなの知ってる!」…と言うしかない…
しかしながら、お風呂は体をきれいにしてくれる上、硬直化した筋肉をほぐし、副交感神経をどうにかこうにかしてくれる大事な仲間、つまり力を持った同胞である。気が合わなかったり、めんどくさいし意見が合わないことがあっても、そこをうまく落としどころを見つけ協調する方法を見出さないとこれからの生活がうまく回ってゆかなくなる。
書き出しから斜め下に行きながら戻れないことを悟ったのでここでとりあえず終わります(時間切れ)。文章を打つ練習として15分で書いたからと言い訳しつつ、書きたかったことはただ、
「お風呂が得意ではない人よ、めざめよ!」
これだけです。なろうなろうのあすなろ物語で、いつか風呂プロフェッショナルになろうとは思っています。以上!